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風早の祭り

 風早の代表的な祭りは春と秋に行われる。

 春は、5月3日・4日の「北条鹿島まつり」での「櫂練り」と「大しめ縄張り替え」、秋は、10月体育の日をはさんだ連休に「風早火事祭り」だ。どちらも、北条から出自した中世、伊予の豪族、河野氏が歩んできた足跡を今に伝える伝統行事である。

 これは、この土地に住む住民が祖先を敬い、伝統を継承し続けているからである。

櫂練り

 起源は、治承年間(1177~81)の河野水軍による戦勝祈願や祝勝奉賛が鹿島神社の神事となったと伝えられています。

近世になり河野水軍が衰微絶滅したが、鹿島近くの住民が祖先の武勇をたたえ、昔の威風を偲ぶため、漁船で競漕してきたことが櫂練りを演じる風習として伝承されてきました。

 江戸時代になり鹿島神社の祭礼となりみこし渡御(とぎょう)の警護にあたることになり今に至ります。

 春と秋に鹿島周辺の斎灘を回る櫂練りの時代絵巻のごとく豪華絢爛な姿は、観客を魅了し続けています。

(昭和41年 愛媛県指定無形文化財)

 櫂練りがひっばる船「御船」にのせる神輿は、鹿島神社から2体でてきます。船に乗せる前に神輿をあわせる様子は迫力があります。

 

 海上で御船は勢いよく揺らされ、氏子らはびしょびしょになりながらお役目を果たします。

 櫂練り船の先頭は、小学生がボンデンを振り、後ろでは青年が櫂剣を回して踊ります。どちらもバランスをとって船に立っています。

 また船では半鐘と太鼓を鳴らし、独特の櫂練り唄「ホーランエー」を歌います。

櫂練り唄 - 地元小学生
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踊り子は、命綱なしで踊ります。

風早火事(ひのこと)まつり

 北条地域の秋祭りは「風早火事まつり」の異名を持っています。

これは、町々が所有する「ダンジリ」が半鐘と太鼓を打ち鳴らしながら練り歩く様子から、こう呼ばれるようになったと言われています。

 

日本三大荒神輿

 

 宮城の「帆手祭」、姫路の「灘のけんか祭」、北条の「北条火事まつり」の3つを「日本三大荒神輿」として有名です。

 風早火事まつりでの神輿は全国でも珍しい風習で宮入りします。

 国津比古命(くにつひこのみこと)神社・櫛玉比売命(くしだまひめのみこと)神社の宮入りでは、境内の39段の石段から神輿の中の「オショウネ(神様)」が飛び出すまで投げ落とします。これを「神輿落とし」と呼んでいます。

 また鹿島神社の宮入りでは、明星川に何回も投げ落とします。これは「神輿ミソギ」と呼んでいます。

 「もてーこい、もてーこい」の声で神輿が落とされます。

 「もてーこい」は、神様に「詣でてきてください」が語源の一説と言われています。

 見物客は悲鳴を上げながらも水しぶきを楽しみにしています。

ダンジリって

 

 語源のひとつの説として、『祭壇の最も聖域となる高い奥の位置を「尻」と言い、これを曳行する、つまり壇の尻を曳くことから「壇尻」となった』とあります。そのルーツは、京都祇園祭と言われ、西日本の瀬戸内海沿岸各地にその風習が残されています。

 愛媛では東予・南予の各地でダンジリが見られるが、中予には北条全域と中島の津和地にしか受け継がれていません。

北条のダンジリの歴史は、江戸時代幕末のころ、秋祭りの時に辻町と北条町のダンジリを縄で引いて八反地の大庄屋の前まで持っていき芸者総出で道踊りをするのが習わしでした。

 それがある年に、北条町がダンジリに棒をつけて法然寺の半鐘と太鼓を乗せて担いで行ったのがカキダンジリとして今の形になったと言われています。

伝説

伝統

息づく、

神秘

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